手相占いは結構人気で、街中にも占いコーナーがあったりするし、今の時代ではオンラインで手相鑑定をしている人もいます。
ただ、それらには意味があるのか?と疑問に思う人はいると思います。
今回は手相は意味があるのかないのか?についての私の意見を書いてみます。
「…だから手相を学ぶべき!」とか「…だから手相を鑑定してもらうべき!」とは全く思わないですけど「へ~。こういう意味があるんだなぁ。」とちょっとだけでも思ってもらえたら嬉しいです。
手相は意味がない?
いきなり結論ですけど、手相は基本的に意味がないと思ってます。
なぜなら手相を見て人生が決まるわけじゃないから。
言い換えると、手相を一切気にしなくても幸せになることはできるから。
そもそもな話、手相は占いの一種。占い自体に何か特別な意味がないならその一つである手相占いにも意味がないわけです。※占い全体に意味はないけど手相にだけは意味があるとかないと思うので。
なので、大前提として「手相には基本的に意味がない!」と思ってるし、私はそういうスタンスでやってます。
手相を知る本当の意味
上にも書いたように、私は手相には意味がないと考えてます。
でも、それは「基本的には」の話。
私は、手相は自分の内面とか目に見えない運を視覚化したものだと思ってます。
それは主観的にもですけど、客観的に分かることにも価値があると思ってます。
例えば、覇王線があるなら「あぁ、この人はお金持ちになれる運を持っているだろうな。普段の会話からは全く想像できなかったけど、きっと頭の中ではお金持ちになれるような思考を持っているんだろうな。」と分かるわけです。
全く知らない人であっても手相を見れば「あぁ、なるほど。」となることがあるし、それが仮に当たっているなら相当な情報になるわけなので、そこには価値があると思います。
自分でそれに気付くならそれで良いし、自分でそれに気付けないなら誰か(占い師とか)に気付いてもらえば良いわけです。
当然、一番良いのは自分で気付くor手相を気にすることなくやるべきことを正しい方向で最大限やるということ。
でも、それが難しいことだというのはおそらく多くの人が気付いてるはず。
特に今の時代は自分のことを考える時間より圧倒的に他者のことを考える時間が多いし、だからこそ「瞑想」とか「マインドフルネス」とかの話が重要視されてたりするんだと思います。
要するに自分のことを考える時間が少ないから自分の情報が視覚化されている手相を知る意味(≒価値)はあると思うということですね。
手相は人の人生を決定付けるものではない
個人的には手相を見る価値は少しあると思ってる…という話を書きました。
でも、手相はあくまでも占いであり参考程度の情報にしかなり得ないとも思ってます。当然、手相がその人の人生を決定付けるものにはなり得ないです。
例えば、億万長者の相と呼ばれる覇王線を持っていたとしても、現実的な話、億万長者になれるのはごく一部の人だけ。
天下取りの相と呼ばれるますかけ線を持っていたとしても、現実的な話、天下を取れるくらいの活躍ができるのはごく一部の人だけ。
手相はその人の人生を決定付けるものにはならないし、良い意味でも悪い意味でもその事実は知っておくべきことかなと。
逆に言うと、それ以外のことは知らなくても良いかなと。手相を信じるべきだとも思わないし、所詮占いなので大事なのはどう考えても「リアル」であり「現実」なので。
私は手相や占いに興味を持ってしまったし、個人的に知りたいことがあるのでいろいろ調べたり検証したりするものの、他の人からしたら「それは知らなくても良いモノ」であるとも思うので、その辺のバランスは考えた方が良いと思います。
まとめ
手相には意味があるのか?という話を書いてみました。
まとめると「手相は基本的には意味がない。でも、手相は自分の情報を視覚化したものだと思うから、それを自分or他人が見れるというのはわりと価値があることだと思う。」ということ。
途中にも書いたんですけど、自分が自分のことをしっかり理解して人生の舵取りができるなら手相なんて一切気にしなくて良いです。
でもそれが難しいことだし、なんなら自分のことを知るのはめちゃめちゃ難しいことだからこそ、手相(占い)を通して少しでも自分のことを知るのは価値があることなのかなと。
実際私は手相を見ることで「あぁ、なるほど。こういうことなのかもなぁ。」と分かったことがあります。それを知れたからこそ活かし方も分かるようになったし、良い方向に舵取りができるようになった感覚もあります。
まぁそれは私の場合の話なので、全員に当てはまることだとは思わないですけどね。
ただあくまでも一例の話として知っておくのは良いかなと思うので、一応書いておきました。
どう考えるかは各自で判断してみてください。
※もちろん、手相なんて気にしなくても幸せになれるので「知らなくても良い、気にしなくても良い」というのが大前提としてあります。